ぬるま湯につかっているよーな毎日を綴った日記。
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なんつかあれですね、ちょっと放っておくと SPAM コメント凄いですねこんばんは summer です。
ふと昔を思い出したのですが、わたしがネット上にこうして色々書き始めたのは大学三年生の頃で、その時は日常生活のこととか、当時はまださほど人数が多くなかった理系女子的なこと(工学部在籍。但し得手不得手で言えば文系科目の方が得意だった)を適当に書き散らしていました。Read Me! があり、日記猿人(後の日記才人)があり「テキスト系」と云う言葉がインターネッツ界隈でちらほら聞こえ始めていた頃です、懐かしい。んで、そん時は大学名とか居住都道府県などは伏せつつもある程度プライベートな出来事や感情を文章にして FTP していたんですが、これ、今だったらやってないなあと思いまして。
どこから個人が特定されるか分からないし、またそう云ったことを書き散らしているのがどこからか学校の人たちにばれるのが怖いから。
今だったら文系属性を持つ理系女子の日記なんて掃いて捨てるほどあるだろうから希少性も何もないし、そんなん読んで「へー」と思うよりも「これ、誰なんだろうどんな人なんだろう」って個人特定する人がいないとも限らないし(別にそれほど見てる人が多いサイトでもなかったけど)、わざわざブログ更新するよりツイッターとかで短文発信する方が楽だし、だからブログで長文書く人もきっと減っているだろうし、だったらブログの更に上っぽい Movable Type(今だと Word Press になるの?)でデザイン決めてサイト構築して……とか絶対面倒くさいから余程訴えたいことがある人じゃないとやらないだろうし、つまりは一部の人が少々特権的な意識を持ってサイトを作っていたあの頃と現在は隔世の感があるなあと思ったんですよね。ま、別に自分の希少性を訴えて文章書いてた訳じゃなくて、あの頃のわたしは鬱屈していた感情を書くことでしか発現させられずどうあっても何か書かずにはいられなかったので、サイト作って文章を書いていたこと自体は後悔していないけれど、良く毎日更新していたなあと若い自分を褒めたい気持にもなってます。あれから十五年以上経つから隔世の感は当然だし、うちの子どもたちなんて間違いなくデジタルネイティブだしな。
だけど、今ブログとかサイト作って何かするとしたらわたし、主観での商品レビューくらいしかないなあとはたと思って、少し寂しい気持ちになりました。個人的なことを書いて子どもたちが先々迷惑を被るようなことにしたくないし(自意識過剰かも知れないけれど)、良く言われる「政治と野球の話はするな」じゃないけど世間にモノ申すようなことも勉強不足で書けないし、つまりは昔から自分の個人情報や感性を切り売りすること以外なにもなかった自分は、切り売り出来るものがなくなり、仕事や子育ての鬱憤晴らしを文章じゃなく実生活でやりくりするようになってからはわざわざここで書くことってないんじゃないかと思ったんですよ。
寂しいような、そうでもないような。
今のわたしは家庭を手に入れて可愛い子どもも四人もいて、晴らすべき鬱憤がなくなったから書かなくなったのかなあ。でも読書感想文は書いているし、基本的に書くことは好きなまま。でも若さにまかせた滅茶苦茶で八つ当たりのような昔のような言葉は、もうどこを探しても出て来ないような気がします。
ふと昔を思い出したのですが、わたしがネット上にこうして色々書き始めたのは大学三年生の頃で、その時は日常生活のこととか、当時はまださほど人数が多くなかった理系女子的なこと(工学部在籍。但し得手不得手で言えば文系科目の方が得意だった)を適当に書き散らしていました。Read Me! があり、日記猿人(後の日記才人)があり「テキスト系」と云う言葉がインターネッツ界隈でちらほら聞こえ始めていた頃です、懐かしい。んで、そん時は大学名とか居住都道府県などは伏せつつもある程度プライベートな出来事や感情を文章にして FTP していたんですが、これ、今だったらやってないなあと思いまして。
どこから個人が特定されるか分からないし、またそう云ったことを書き散らしているのがどこからか学校の人たちにばれるのが怖いから。
今だったら文系属性を持つ理系女子の日記なんて掃いて捨てるほどあるだろうから希少性も何もないし、そんなん読んで「へー」と思うよりも「これ、誰なんだろうどんな人なんだろう」って個人特定する人がいないとも限らないし(別にそれほど見てる人が多いサイトでもなかったけど)、わざわざブログ更新するよりツイッターとかで短文発信する方が楽だし、だからブログで長文書く人もきっと減っているだろうし、だったらブログの更に上っぽい Movable Type(今だと Word Press になるの?)でデザイン決めてサイト構築して……とか絶対面倒くさいから余程訴えたいことがある人じゃないとやらないだろうし、つまりは一部の人が少々特権的な意識を持ってサイトを作っていたあの頃と現在は隔世の感があるなあと思ったんですよね。ま、別に自分の希少性を訴えて文章書いてた訳じゃなくて、あの頃のわたしは鬱屈していた感情を書くことでしか発現させられずどうあっても何か書かずにはいられなかったので、サイト作って文章を書いていたこと自体は後悔していないけれど、良く毎日更新していたなあと若い自分を褒めたい気持にもなってます。あれから十五年以上経つから隔世の感は当然だし、うちの子どもたちなんて間違いなくデジタルネイティブだしな。
だけど、今ブログとかサイト作って何かするとしたらわたし、主観での商品レビューくらいしかないなあとはたと思って、少し寂しい気持ちになりました。個人的なことを書いて子どもたちが先々迷惑を被るようなことにしたくないし(自意識過剰かも知れないけれど)、良く言われる「政治と野球の話はするな」じゃないけど世間にモノ申すようなことも勉強不足で書けないし、つまりは昔から自分の個人情報や感性を切り売りすること以外なにもなかった自分は、切り売り出来るものがなくなり、仕事や子育ての鬱憤晴らしを文章じゃなく実生活でやりくりするようになってからはわざわざここで書くことってないんじゃないかと思ったんですよ。
寂しいような、そうでもないような。
今のわたしは家庭を手に入れて可愛い子どもも四人もいて、晴らすべき鬱憤がなくなったから書かなくなったのかなあ。でも読書感想文は書いているし、基本的に書くことは好きなまま。でも若さにまかせた滅茶苦茶で八つ当たりのような昔のような言葉は、もうどこを探しても出て来ないような気がします。
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