ぬるま湯につかっているよーな毎日を綴った日記。
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平成 21 年 6 月 18 日、臓器移植法改正の A 案が衆議院を通過しました。色々とまとまらない考えではあるのですが、記録として今現在の自分が思うことを書き連ねてみたいと思います。
最初このニュースを聞いたときに「あ、良かったな」と単純に思いました。国内での臓器移植の道が開かれて、救われる命が増えると思ったからです。でもニュースを良く聞いて、それが脳死の患者からの臓器提供による移植と知って、何か注意しなくてはならない気がしたのです。
二つのケースについて考えてみます。想像するだけでもかなり辛いのですが。
ケース 1。自分の子供が脳死判定を下される状況になった時。A 案に従えば、家族、つまり旦那やわたしの同意があれば子供の臓器は移植を待つ人に提供が可能になります。と同時にわたしは子供を喪います(つるかめつるかめ)。
ケース 2。自分の子供が臓器の移植でしか生き延びられないと診断された時。現行法では海外に渡航して移植を待つしか手段がなかったのが、国内での移植待ち、提供者が見つかった場合は国内での移植が可能になります。費用負担等は恐らく大分安くなるでしょうし、言葉の通じない国でいつ現れるとも知れぬ提供者を待つ不安からも解放されます。A 案が法律として成立した場合は、提供者が現れる可能性も多少は増えることでしょう。
仮に現行法の下で子供が臓器移植が必要との診断を下された時(つるかめつるかめ)、わたしは募金を募って海外での移植に縋るのでしょうか? それはそうなってみないと分かりませんが、改正法が成立しようがしまいが、脳死患者か臓器提供を受けると云うことは即ち、一人の人間の命が終わると云うことです。
命を引き継ぐと言い換えればきれいに聞こえるかも知れませんが、いわば他人の命を貰って自分の子を生かすのです。そういうことをしていいものかどうか、今のわたしには分かりません。母として我が子に生きていて欲しいとは当然強く強く思いますが、であるからこそ逆にその命を「同意」と云う手順の元で終わらせる判断をする辛さが想像出来るのです。自分が死んで子供が助かるなら喜んでそうしますが、見ず知らずの他人の命を貰うのです。
現行法の海外での臓器移植は、あまり意識されていませんが、移植成功イコール見知らぬ外国人の命が消えているのです。そこには多くの悲しみを伴った決断がある筈です。自分が子供を喪うか、他人が子供を喪うかの違いです。
他人から臓器の提供を受けることをエゴイズムとは言えないと思います。そこには「救いたい」という愛情があります。しかし自分の辛さを他人に振り替える決断をする勇気はわたしにはありません。
自分が脳死判定が下された場合には、どうぞどの臓器でも提供します、と思っています(意思表示カードは持っていないけれど←駄目)。でも仮にそれが自分の子供であればこんなにもわたしは優柔不断です。結論はない思いつくままの流し書きですが、これが今のわたしの、臓器移植法案への考えです。
最初このニュースを聞いたときに「あ、良かったな」と単純に思いました。国内での臓器移植の道が開かれて、救われる命が増えると思ったからです。でもニュースを良く聞いて、それが脳死の患者からの臓器提供による移植と知って、何か注意しなくてはならない気がしたのです。
二つのケースについて考えてみます。想像するだけでもかなり辛いのですが。
ケース 1。自分の子供が脳死判定を下される状況になった時。A 案に従えば、家族、つまり旦那やわたしの同意があれば子供の臓器は移植を待つ人に提供が可能になります。と同時にわたしは子供を喪います(つるかめつるかめ)。
ケース 2。自分の子供が臓器の移植でしか生き延びられないと診断された時。現行法では海外に渡航して移植を待つしか手段がなかったのが、国内での移植待ち、提供者が見つかった場合は国内での移植が可能になります。費用負担等は恐らく大分安くなるでしょうし、言葉の通じない国でいつ現れるとも知れぬ提供者を待つ不安からも解放されます。A 案が法律として成立した場合は、提供者が現れる可能性も多少は増えることでしょう。
仮に現行法の下で子供が臓器移植が必要との診断を下された時(つるかめつるかめ)、わたしは募金を募って海外での移植に縋るのでしょうか? それはそうなってみないと分かりませんが、改正法が成立しようがしまいが、脳死患者か臓器提供を受けると云うことは即ち、一人の人間の命が終わると云うことです。
命を引き継ぐと言い換えればきれいに聞こえるかも知れませんが、いわば他人の命を貰って自分の子を生かすのです。そういうことをしていいものかどうか、今のわたしには分かりません。母として我が子に生きていて欲しいとは当然強く強く思いますが、であるからこそ逆にその命を「同意」と云う手順の元で終わらせる判断をする辛さが想像出来るのです。自分が死んで子供が助かるなら喜んでそうしますが、見ず知らずの他人の命を貰うのです。
現行法の海外での臓器移植は、あまり意識されていませんが、移植成功イコール見知らぬ外国人の命が消えているのです。そこには多くの悲しみを伴った決断がある筈です。自分が子供を喪うか、他人が子供を喪うかの違いです。
他人から臓器の提供を受けることをエゴイズムとは言えないと思います。そこには「救いたい」という愛情があります。しかし自分の辛さを他人に振り替える決断をする勇気はわたしにはありません。
自分が脳死判定が下された場合には、どうぞどの臓器でも提供します、と思っています(意思表示カードは持っていないけれど←駄目)。でも仮にそれが自分の子供であればこんなにもわたしは優柔不断です。結論はない思いつくままの流し書きですが、これが今のわたしの、臓器移植法案への考えです。
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